実は、入院をキャンセルしたときに引いていた風邪、
それ自体は治っているんだけど咳だけしつこく残ってて。
だからもしかしたらまたしてもオペ延期になる可能性もあるけど
でも今回は、できるんじゃないかと踏んで、とりあえず入院します。
虫垂腫瘍の摘出、腹腔鏡下予定です。
開腹手術の既往があるので腸に癒着とかあるかも知れず
その場合は開腹に変更になるかもと説明されています。
入院期間は1週間前後の予定。
その後は少々実家でのんびりしてきます。
電大のライブが28日に川崎であるので、その日には職場復帰の方向で!
ま、オペできなかったら日帰りで退院しちゃう感じだけどね。
日帰りになったら、またここでご報告します。
それがなければオペするんだなと判断してください。
さてさて、どうなることやら。
がんサバイバーなので団信に入れなくてさ。
これで親に借金を残して死ぬのは回避できたよ。
良かった。マジでホッとした。
抵当権抹消手続きが済むまでは終わりじゃないので
ほんとに喜ぶのはそれからかな。
ただ、とりあえずこれで肩の荷が下りるね。
…でも、独身なのに3LDKのマンションを買って
もし結婚してもとりあえず家族でも住めると思ってたけど
完全に要らん心配だったわぃ(大汗)
結婚あきらめたわけじゃないけど
いい人見つかるよりお迎えが先な気配だよね(苦笑)
でもお迎え来たら追い返しちゃいたい。
この世は楽しいことばかり。長生きしたいよね。
ほんとうは1つの記事で全部書くつもりでいたんだけど、
ちょっと長くなりすぎたので前後編に分けることにしました。
卵巣がんでかかっている病院から紹介状が出て、
大学病院に超音波内視鏡検査を受けに行き、
その所見を受けて手術する方向になったため
消化器内科から消化器外科に送られた。
…というところまでが前編のおはなしね。
別にもったい付けて引っ張ったわけじゃないです。
だから後編ではあっという間に核心に入っていきますよ。
では、本文に入ります。
☆
虫垂腫瘍の良悪は切ってみないとわからないから切る方向。
それは先日聞いた話をほぼなぞっていて、今回も覆らず。
そして、この日初めてお目にかかった先生がふいに言った。
「他の病気が見つかっちゃったんだよねー」
☆
手術前の検査として撮ったCTに写ってはいかんものが写っていたそうだ。
先生の説明とともに、画像を見せてもらった。
要点は3つ。
・右胸にしこり?がある(画像によると2つほど?)
・腋窩のリンパにも炎症所見があるみたい。
・背骨に転移所見ぽいものが見える。
この時点での私の感想。
「他の病気っていうからドキったけど、胸か(ホッ)」
「それにしたって13年も経ってるのにマジか〜」
☆
先生は、虫垂腫瘍の手術はとりあえず置いておいて、
まずはこちらの治療を、と言う。
そりゃそうだ。虫垂はおそらく良性という見解だったんだからね。
これは十中八九、13年前に患った乳がんの転移と思われる。
それなら私には全幅の信頼を置く乳腺外科の主治医がいるわけで
乳がん絡みならそっちの先生に診てもらいたい。
なので今回の所見について、紹介状を書いてもらうことになった。
すると、その治療とのタイミングを見て虫垂切除もすることになるので
できればいろいろな病院を行ったり来たりするのではなく
1つの病院でやった方がいい、と先生。
頭ではその理屈はわかるんだが、乳がんでかかってる病院は遠い。
腸はできれば卵巣がんでかかってる病院がいいんだよなぁ。
先生は乳腺も含めて大学病院で診てもいいと考えていたようだけど
乳腺を他の医師に、というのは私の中ではない肢なんだよね。
今、乳がんの方は年に1回の経過観察で
でも予約が混みすぎていて4月下旬まで空きがなかったから
そこに主治医の枠の予約を持っている(結果としてナイスタイミング!)。
そのときに紹介状を持って行って、虫垂のことも含めて主治医と相談する。
ただ、虫垂に関してはもし悪性だったら乳がんとか卵巣がんに比して希少になるわけだから
一応大学病院で診てもらう肢も残しておく方がいいかなと思い
とりあえず今回の先生の外来にも5月に次回予約を取った。
☆
もともとの患側ではない方の胸、そしてリンパや骨にがん細胞らしきものがあるというのは
簡単に言えば転移なわけです。遠隔転移。
がん治療について多少の知識があればわかると思うけど
遠隔転移を起こしたということはもう完治は見込めないということで
基本的に手術適応ではなくなるわけです。
つまり治療の肢は、ほぼ薬物治療になるわけね。
乳がんの薬物治療には、内分泌療法、分子標的治療、化学療法と
大きく分けたら3種類あるわけだけど
私はトリプルネガティブなので今も昔も3番目の選択肢しかないのです。
おそらく、これから抗がん剤治療が始まります。
早ければたぶん5月から。
そして、どこかでタイミングを見て虫垂を切ることになるでしょう。
☆
正直、卵巣がんと虫垂腫瘍の勉強にかまけてて
最近乳がんの勉強なんてやってなかったから、最新の転移向け治療がわからん。
まさか手術から13年も経って転移するとか
まぁ若年性だったしありえない話ではないのは当然知っていたんだけど
さすがに今回は想定外だったよね。
もう自分は卒業したくらいの気持ちでいたからさ。
もしかして、ひとり勤務のこの1年で私にかかった
尋常じゃないストレスも一因なんじゃね?
職場健康診断のストレスチェックにも引っかかったしさ。
でも別に、ショックでふさぎ込むとかはないので。
ゴハンはおいしいし、図書館で借りて読んだ本はおもしろいし。
好きになってもうすぐ1年になる三浦大知の、出たばかりのベスト盤は素晴らしいし。
新しくできたユニコーンの公式ファンクラブにも入会したし。
1000本記念ダイブ、まだあきらめてないし。
☆
乳腺外科の予約は、先述の通り4月下旬。
それまでにシパダンに行くことを大真面目に考え始めた。
抗がん剤治療が始まれば、どんな薬を使うかによるけど
副作用が出ておそらくまた髪は抜けるし、手足のしびれが復活するかもだし
それ以前に体力とか免疫力とかめっちゃ下がるのでとても潜りになんか行けない。
今は骨転移も、しこりもリンパも自覚症状ないんだよね。
ほんと、しこりわかんないんだよ自分で胸を触っても。
今ならまだ間に合う。まだ潜りに行けるはず。
でも4月のCEはなんとフルブックだった(号泣)
5月以降も結構な混雑具合らしい。
私の職場は未だにバイトが欠員で、ずっと私ひとりで回している関係で
あまりがっつりした休暇は許されそうにないんだけど
ここを逃したら次はいつ潜れるのか全くわからない。
こんな状況で職場のことなんて知るか。後悔したくない。
乳がんの転移なら進行はさして早くないはず。
そもそも転移なら早期発見でもそうでなくても予後は変わらないらしい。
それなら治療を少し遅らせてもいいから、無理して5月に行こうかな、と考え中。
☆
私自身は、大体のことは平気なんだ。
がんサバイバーとしての部分に関しては、鋼のメンタルだと思ってる。
飛んじゃったもんはしょうがない。なかったことにはできないんだから
粛々と標準治療をこなしていくだけ。
ただし、治療内容は自分でもちゃんと理解し納得したい。
だから今あわてて、転移ケースの治療内容、使用薬剤に関して勉強してる。
あー、また限度額適用認定証の申請をしないといけないみたいだな。
確定申告やっと終わったのに、全くめんどくさい。
☆
これを読んでるみなさんはぜひ健康に留意して、元気で長生きしてください。
がんサバイバーのみなさん、あきらめないで元気で長生きしましょう。
親とか大事な人のためにも。
私は、がんと闘いながらだけど、元気で長生きします(^^)v
数年前に同じ指摘をされたときは無視したけど
今回は卵巣がん罹患後なのでそんなこと言ってられん。
卵巣がんが腸に飛んだのかなぁ?…って思っちゃうじゃない。
だから卵巣がんでお世話になっている病院で先生に相談し
消化器内科に回してもらって大腸内視鏡検査を受けてみることに。
その結果を聞きに行ったのが昨年12月下旬。
でも便潜血の原因となり得る明らかな所見は確認されず、
おそらくはちょっと痔っぽい感じになったり治ったりしているのだろう、
…という見解を聞かされた。
でも、大腸のいちばん奥(胃に近い方)になんか出っ張りがあって
表面の細胞を採取して病理検査をしてみたけどシロで
たぶん良性の何かだけど、確定ではないというビミョーな診断だった。
先生は経過観察して3ヶ月後にまた内視鏡をしましょうかと言ったけど
「もしこれが良からぬものだった場合、3ヶ月も様子見て大丈夫なんですか?」
と食い下がってみた。
卵巣がんの術前にも内視鏡をやっているので、
そのときにこの出っ張りはあったのかどうかと聞いてみたけど
なかったのか、それともカメラの角度が違って写ってないのか、わからず。
私が不安がっていることもあり、「では超音波内視鏡で中身を確認しましょう」
という話が持ち上がった。
でも超音波内視鏡はこの病院にはなかったので
この病院からいちばん近い某大学病院の消化器内科への紹介状が出ることになった。
その紹介状を手に、大学病院を受診したのが今年の1月半ば。
正直なところ、超音波内視鏡検査に関して詳細を書くのは
現状めんどくさいので省略します。
でも、途中で先生の手が止まり、何か不穏な雰囲気になり
同じ室内で別の作業をしていた先生も画像を見に来たり
おそらくは呼ばれて来たとおぼしきベテラン風の先生が登場したり。
「(超音波のケーブルが)断線してる」という何ともアレな言葉が聞こえてきたり。
結論から言うと、
超音波内視鏡をもってしても出っ張りの中身はわからなかった。
ケーブルの断線が影響しているのかはわからん。
でも出っ張りが大きくて中心までソニックが届かん的な話もあった。
この辺の真相はよくわからん。
とにかく、超音波内視鏡では何もわからなかったので
日を改めて造影CTを撮ることに。
もともとの病院の先生も大学病院の先生も
「たぶん良性」という見解だったので
私も良性であることをしっかり確認したいっていうだけの話だった。
…はずなのに。
2月上旬にCTの結果を聞きに行ったときに、先生に言われた。
出っ張りの中身は、やっぱり普通とは違う何かのようであること。
画像のどこが怪しい出っ張りなのか、普通の細胞と雰囲気が違うこと、
私が認識できるまで画像で示してくれて。
この時点で告げられた病名は「虫垂腫瘍」。
ただし、良性か悪性かはわからず、それを知るためには切るしかない。
というわけで、消化器外科に院内紹介状を出すので
そちらの診察の予約をして、手術に向けて調整、という話になった。
そのまま消化器外科の受付へ回されたんだけど
「今日これから受診しますか?」というありがたいお言葉。
こちらは有給休暇で来ているので、同じ日に受診できるならラッキー。
少々の待ち時間の後、初診を担当する大学院在学中の医師の外来へ。
消化器外科の手術はだいたい1~2ヶ月の待ち時間があることを説明され
まずは手術に向けた全身的な検査をいろいろ受けるように言われ
その場で先生が全ての予約を取り、
私は日を改め、3日ほど通院して全部で8つの検査を受けた。
その検査結果が出そろった時点で消化器外科の専門医の診察を受けた。
3月中旬に設定されたこの診察で手術日程とかが決まると思ってたんだけど
そうはならなかった。
(つづく)
]]>まぁ、タイトルの通りというかタイトルが全てなんですが、
明日から「勝手に秋休み」を取得してデラワンへ行きますよ。
本業上、いま木曜ってかなり休みづらいんだけど
来週の木曜は祝日で仕事はお休みだから、これはチャンス!ってね。
前回のレンベへ行くときにも書いたけど、サンガラキって前から憧れてたんで。
“デラワン・サンガラキ”ってひとくくりにされることが多いのよね、立地的に。
15年くらい前まで“シパダン・マブール”って言われてたのと同じ感じよ。
で、今回サンガラキでなくデラワンなのは、単に経済的な問題。
ダイビング系の旅行社それぞれで宿泊先が違ってて
たまたまデラワンステイの会社がいちばんリーズナブルだったのね。
サンガラキステイでもデラワンでも、移動距離の差こそあれ、
潜る海域は同じなのでまぁいいかな、と。
現地で4日間潜る予定で、うち3日間は遠征ダイブ。
サンガラキ、カカバン、マラトゥアの各島へ、各1日ずつ潜りに行く。
残りの1日は今のところ、遠征せずにデラワン島の周辺で潜るつもり。
遠征する3つの島はマンタとかバラクーダとか大物系でデラワンはマクロなので
ワイドもマクロも好きな自分にはちょうどいいかなと思ったのね。
デラワンってインドネシアなんだけど、地図上ではシパダンと近いから
海の感じ、見られるお魚とか、わりとシパダンに近い雰囲気。
そんなところもいいなと思う。
今回は12本潜る予定で、そうすると帰国する頃には993本になる。
年が明けたら、「勝手に冬休み」か「勝手に春休み」を企画して、
次はいよいよシパダンで、1000本記念♪の予定。
993本ってのがミソなのよ。
1000本記念はシパダンのバラクーダポイントで迎えたい。
現在のシパダンクルーズでは、初日が1~2本、2日目以降は1日4本。
すると7本目は3日目の1本目か2本目でしょ。午前だよね。
ポイントの位置的に、バラクーダポイントに潜るのは大抵午前中なので
午前中なら「バラクーダポイントに行きたい」という希望が出しやすいんだ。
そんなことにもこだわって行く先を決めた今回、またしてもひとり旅。
ま、まだ頭はハゲちょろけてるんで知り合いにはあんまり見せたくないし
そういう意味ではむしろひとりで全然いい。
デラワンには日本人スタッフがいないから日本人ゲストもたぶんほぼいないはず。
ハゲ頭にひさしぶりに陽の光をあててきますわ(^^)
そんなわけで明日、人生7回目(確か…)のインドネシアへ向かいますよ。
安全第一で、今回は青い海も満喫してきます。
心配なのは、ウェットスーツが着られるかどうか。
前回のレンベ滞在中もどえらく苦労したのよね。太りすぎ。
最悪、レンタルスーツで楽しめばいいか。
ではでは、行ってきま~す(^^)/
今年に入ってからもいろいろなことがありました。
3月末で主治医が異動になり、4月から別の医師に診てもらってます。
前の主治医は好きだったけど、今の主治医にはどーもなじめない…。
それとは関係ないけど、前任者の定年退職に伴って
職場の直属の上司も4月から替わっていろいろ変化が。
そして、アバスチンをずーっと使ってきたけれど
副作用で腎機能が落ち過ぎてしまい
(わかりやすく言うと、尿蛋白の検査値が悪くなりすぎてしまい)
アバスチンは一時中断となりました。
前の主治医はなるべくアバスチンを継続投与する方向だったけど
今の主治医は無理してアバスチンを継続して腎機能をこれ以上落とすのはどうかと。
術後のアバスチン投与について、お二人はスタンスが少し違うようです。
私も、何が何でもアバスチンにすがりつきたいわけではないので
今の主治医の意見を受け入れて、4月以降は点滴してません。
そんなわけで今は無治療経過観察中です。
何もしないのって怖いけど、まぁしょうがないよね。
なお、治療を中断してから一度CT撮りました。
おかげさまで現状、再発・転移はないということになってます。
点滴を中断したことにより、腎機能はゆるやかに改善に向かっているし
歯磨きするたびに口の中が血まみれになることもなくなり
お財布から多数の諭吉が旅立つこともなくなりましたよ。
髪は伸びるのが遅くてまだベリーショートの域を出ないし
ところどころまばらだし白髪ばっかではあるけど、だいぶ生えてきてますよ。
それでね。
体調が落ち着いている今、行けるなら海に行きたい。
万が一再発とかしたら、また行けなくなっちゃう。
そんな気持ちが盛り上がってきて。
「生活上、禁止事項はない」って今の主治医は言っている。
辞めてしまったバイトさんの穴はまだ埋まってないから休みづらいんだけど
そこは職場とも交渉して、なんとか夏季休暇は1週間続けて取っていいことに。
いろいろ考えて職場的にいちばん問題なさそうな日程で休暇を設定。
それから行く先の検討に入った。
2年ぶりの復帰ダイブだから、激流とか深いところとかは避けよう。
今はまだ足がしびれているのでビーチダイブはできない。
予算はできれば35万程度までに抑えたい。
あわよくば来年には1000本記念に届かせたいから、10本以上潜りたい。
(先日ログブックを確認したら、いま969本だった)
一度、ほぼ気持ちが固まりかけた憧れのサンガラキは
7月の水温が25度くらいと知ってあきらめた。それは寒いよ。
マダン行ってみたいなと思ったが、ベストシーズンは10月だとか。
しかも1人で行くといろいろ上乗せで35万超えそう。
タオもいいけど日本人が多そうで今回は気乗りせず。
前から興味があったアニラオは、短い日程でも行けるのでまたの機会に。
それなら、いちばん好きなんだからシパダン行くか!
…と思ったが、CEのキャビンに空きがない日があって断念。
そんなわけで明日、人生6回目(確か…)のインドネシアへ向かいます。
結局インドネシアのどこにしたのかというと、ザ・マクロ王国レンベ。
ここもすごく憧れがあって、いつか行きたいと思っていた。
復帰ダイブは青い海でふわふわしよう、というイメージだったので
南の島なのに青くないレンベに決めることに多少迷いはあったけど
まぁ憧れ続けていた場所であることは間違いないしね。
そもそも暑がりな上に、病歴からか年齢からかホットフラッシュが頻回なので
基本プランから少しアップグレードして
エアコンとホットシャワー付きコテージの部屋をリクエスト。
ひとりゴハンに困らない、滞在中全食事付きもありがたや。
ほんとうは土曜出発がベストなんだけど、羽田から飛ぶなら無理。
羽田から行けるならその方が楽なので、妥協して日曜出発にした。
せっかく夏季休暇+土日で長めに休めるので延泊を付けた。
これで旅程にはあらかじめ11本のダイビングが組み込まれ
現地で気力体力が許せば、サンセットやナイトダイブを足せる。
1000本記念に、だいぶ近付けることができる。
正直な話、無事に行けるのか、潜れるのか、不明だし不安。
でもきっとなんとかなっちゃうんじゃないかと思う。
透明度が良くないレンベでは1ガイドにゲスト4人までと決まっているそうで
復帰ダイブとしてはまぁまぁいい条件なんじゃないかな。
私が予約したダイブリゾートには日本語スタッフがいないので
復帰ダイブである旨を申告するかはわかんないけど
おそらく全てのゲストが水底に這いつくばる勢いで
カメラでパチパチするダイビングだろうからまぁいいか(笑)
2年ぶりにオーバーホールした器材をパッキングし
2年ぶりにデジカメハウジングの手入れをし
おなじみの旅前ブルーにもどっぷりつかり
連敗しまくるスワローズに気を揉んだり(今日は勝ったよ!連敗止まったよ!!)
ここまでいろいろあったけど、どうにか明日、出発できそう。
ヘアリーフロッグフィッシュとか、ミミックオクトパスとか
他にもアレとかコレとか、見たい子いっぱい。楽しみ。
まぁとにかく安全第一で無理せず、無事に帰国することが目標。
誰にも気兼ねせず、ひとりで人生初レンベ、行ってきまーす☆
☆
なんかすごくバタバタと日常を送っているうちに
この話って3ヶ月以上も前の話になってしまった。
今さら感はたっぷりだけど
年が替わる前に、ご報告も兼ねて書き残しておこうと思う。
結論から言うと、まぁ、タイトルの通り。
それが全てで、それ以上でもそれ以下でもないんだけど。
でもまぁそれだけではあまりにも味気ないので。
えーとですね、9月の頭に、緊急入院したんですよ。
病名は、感染症。
CVポートを埋めたことはすでに書いたけど
そのポートを入れた傷痕が感染を起こしたというもの。
最初は首が痛くなり、ポートのオペ傷を中心に赤く腫れ上がり
さらに睡眠中にそのオペ傷が開いたらしく、出血した。
人は立位から仰臥位になると頸静脈への圧が上がる。
睡眠時に出血したのはおそらくそんな理由だと思う。
この日(=入院前日)は予約なしで朝イチで外科へ駆け込んで
排膿してもらって内服の抗生剤をもらい、それから出勤。
翌日(=入院日、9月8日)には胸のオペ傷が開いて出血、しかも熱発し、
またまた朝イチで外科へ駆け込んだ。
待合で待ってる間に熱は39℃を超えてしまい
これはもう間違いなく感染症という診断になり点滴されつつ処置室で寝かされた。
その日はオペに入っていた外科の主治医がオペ終わりですぐに呼ばれ
「当日中にポート抜去のオペをして、そのまま入院」と宣告されたのだ。
私もポートについてはいろいろ調べていたので、
首が腫れオペ傷2ヶ所から出血し、さらに熱も出たことで
当日中のポート抜去は想定していた。
でも入院になるとは…ううう。
そして2時間後に緊急手術を受けて、せっかく入れたポートは
なんと1回も使えないままサヨナラとなった。
ポート自体は感染していなかったんだけど、異物が入ったままでは
感染が治癒しないという外科の主治医の判断なのでしょうがないけど
ほんとに、医療費払ってひたすら痛く辛い思いをしただけに終わり
しかもムダな傷痕をからだの表面に3つも作ってしまったし
正直完全に心が折れたよ…(T_T)
この抜去オペは局所麻酔でしたんだけど、心の準備も充分にできてなかったし
そもそも私は体質的に問題というか何というかがあるらしく、
ポートを入れたときもそうだったけど麻酔が全然効かないのよね。
電気メスが飛び上がるほど痛かったっっっっっっっ(号泣)
その後も、いちいち痛くてその度に作業中断&麻酔追加。
そんなわけで、20分で終わるはずのオペは倍以上に時間を要した。
あまりの痛さにずーっと泣いてた。マジずーっと。
大人になってからあんなに泣くなんてないよ普通。
そのまま入院したけど
処置してもらってそのまま出勤する気でいたから何にも持ってなくて
ほんとに上を下への大騒ぎって感じだったし
それ以上に、仕事には大穴を開けてしまったし
しかもなかなか熱が下がらないからもちろん退院もできず。
想定外な入院は、5日間に及んだ。
退院4日後、あらためて外来にかかり、傷口はとりあえず落ち着いているので
外科への通院はこれでいったん終了ということになった。
私が希望すれば、またCVポートを入れることは可能。
でも次は、今回とは逆の左側に入れると言われた。
そして、首からではなく鎖骨下に、と。
確かに一度首から入れてみて、日常生活にも多少の影響はあったし
次は左ってことで、首の左右に見える傷痕ができるのにも抵抗はあるし。
外科主治医は鎖骨下でもたぶんダイビングはできると思うと言ってくれたけど
首よりはカテーテルへのBC&タンクの重みの影響がありそうなんだよな。
むむむー。
私の腕は度重なる針刺しで血管がボロボロになっている。
単なる採血でさえ毎度毎度手の甲に刺されて痛い思いをしているし
手の甲ですら失敗されて刺し直しになることも日常化。
というかすでにめぼしい血管はほぼ潰されてしまい
点滴ルートを看護師が取ることはなくなって
毎回必ずわざわざ医師が針を刺すようになった。
(それですらときどき失敗される…涙)
となるとやっぱりポートは必要な気がする。
でも、痛いのはイヤなんだよなぁ。入れるときも麻酔効かなかったし。
外科主治医によると、通常の3倍量を投与してようやく効いたかな、ってな感じで。
もし再オペをするならセデーションを併用するとは言われたけど…、
もうそもそも、「オペ=痛ぁぁぁぁい!!!」に頭がなってしまってるのよねぇ。
毎度毎度医療スタッフが苦労して針を刺す。
毎回のその痛みにこれから1年以上も耐えていくことと
ポート手術のありえんほどの痛み+日常生活への多少の影響。
もう数え切れないくらい天秤にかけたが、答えは出ない。
でも、毎度の針刺しに耐える方がいいかもなって傾いてはいる。
ポートじゃないなら日常生活はもちろんダイビングへの影響はほぼ出ないし
親も(特におかん)、これ以上からだに傷を付けるってことにナーバスだしね。
今回の感染症、結局原因がなんだったのかは未だによくわかんないんだけど
ポートを入れてから最初の抗がん剤投与までは経過順調だったから
やっぱりアバスチンの創傷治癒遅延という副作用や
そもそもTC療法で免疫力が下がっていることなんかが影響していたのかも。
婦人科の主治医は、もし今度ポートを入れる気になったら
そのときはいったんアバスチン治療を中断して充分な間隔をもってオペをして
もうポートが落ち着いたよ、となるまでは治療を再開しない、って言ってた。
なかなか思うようにいかない。
がん治療と仕事と、ダイビングとかライブとか、全部あきらめないって大変。
実はこの緊急入院中、上司がうちのバイトさんに対して
常勤がいないときは常勤の仕事も全部やれ的な無理難題を押し付けてしまい
そのくすぶりが元で10月いっぱいでバイトさんが退職しちゃってね。
バイトさんはいい人で、手足がしびれてる私の分も
一生懸命にいっぱい仕事を引き受けてがんばってくれてたんだよね。
それなのにうちの上司、ろくに引き留めもせずに手放すなんてありえん。
うちは昔から、募集してもなかなか新しい人なんて来ないし
だから今は、私は全部の業務をひとりでやってるんだよね、通院治療と並行してさ。
具合悪いときなんてもうへろへろだよマジで。
そんなわけでバタバタして疲弊しきって、全然ブログに書ける感じじゃなくて。
(そーです、アップが今頃になったことへの言い訳ですよ)
今もバイト募集は出てるけど、応募どころか問い合わせすらないし
もし来てくれたとしてもその人は私が教育しなきゃいけないわけで
そうすると通常業務+新人教育を同時にこなさなきゃならなくなる。
それも正直なところ体力的に厳しいから、八方塞がりな感じ。
ついでに、私の休みを埋める人材がいないから
現状、病院に行く以外の休みはまず取れない。
私はがん患者なんだからもうちょっといたわってくれよ~、と
グチやら泣き言を言いたくなるわけさ。
でもね、休みの要らない楽しみは、ちゃんといくつかあるよ。
先日までやってたユニコーンのツアーも3公演行ったしね、
古田敦也さまの追っかけも、気力体力経済力の許す限り行ってる。
ただ、全然ブログに書いてないだけで…(スイマセン)
そんな休み不要の楽しかったことをひとつ、年内にアップするつもり。
でも気力体力が許せば、なので気長にお待ちくだされ。
なお、過度の心配は無用です。
しんどいこともあるけど、結構しぶとく元気に日々やってます(^^)v
先生が痛み止めや抗生剤などを全く処方しなかったので
そんなに痛まないのかと思ったけど、普通に痛い。
これは手持ちのロキソプロフェンで対処。
2日もしたら傷口はほぼ痛まなくなった。
でも、痛みと違和感で首が回らなくて大変。
上向くのがつらくて粉薬が飲みにくい。
患側方向から振り返るのはからだごと行かないとダメ。
ベッドに横になるのも起き上がるのも、寝返りを打つのもしんどくて
「ううー」とかうなりながらやらねばならないの。
あと、車に乗ってて急発進とか加速とかするとGがかかるのか、痛む。
日常、けっこう無意識に首って使ってるのね。
あと、腕が上がりづらくてTシャツなどかぶりの服が脱着しづらい。
まぁこれらは鎖骨下に入れた人には関係ないのかも知れないけど
私のように内頸部を使うと避けられないっぽい。
まぁしょうがないよな。潜りたいからって言った結果なんだから。
オペ1週間後の診察の前の日、創部に貼られたシートを初めてはがした。
ハイ、ビビリなんでこの日まではがせなかったんだわ。
でももうシートの糊部分でかぶれちゃって、かゆさが限界。
初めて見た傷痕は。
首の傷は思ったよりもじゅくじゅくしてる。痛いし。
この傷はオペ翌日解禁のシャワーもしみてつらかったのよね。
傷口の色も赤黒いというかどす黒い感じで、
首って目立つのにコレほんとにキレイになるのか??って感じ。
胸の傷の小さい方、カテを通すための傷はすこぶるキレイ。
こちらはたぶんほぼ目立たなくなるだろうな。
胸の傷の大きい方、ポート本体の埋まってるところの傷は
赤く腫れ上がっている。
これが目立たなくなるには少しかかりそうな気がする。
ついでに、オペでポートを胸部にぶっこむためにぐいぐい押されて
その跡がアザとなって右上胸部はいろんな色になっている。グロい。
そして傷口周囲が防水シートにすっかりかぶれて真っ赤。
防水シートは外部からの浸水は防ぐけど
この季節、汗っかきの私はシートの内側を汗で濡らすわけで
それも相まってかぶれが進行した模様(涙)
そんな状態で迎えた術後最初の診察、8月26日。
センセが「滲出液が…」とつぶやきながら固めたセメダインをはがし
傷口を両側からつまんで滲出液をしぼり出してガーゼで吸い取る。
「ゲンタちょうだい」と看護師さんに声をかけて
(おそらく)ゲンタマイシン軟膏を塗ってくださった。
結局、 昨夜シートを取ったばかりの胸に、またシートが貼られた。
かぶれている所為か、防水ではなくシルキーシート。
「傷口のつきが悪いので来週また来てね」というのがこの日の先生の結論。
やっぱり創傷治癒遅延というアバスチンの副作用が響いてて
1週間経ってもいちばん大きな傷は完全に閉じてなかったらしい。
アバスチン投与中のオペということで
最初から危惧されていたことではあるけど、やっぱりかー(>_<)
さらに悲劇的なことに、次回の6時間におよぶ抗がん剤点滴には
このポートは大事を取ってまだ使わないということになった。
つまり、事前の採血+点滴のルート取りで、
また何回も針を刺し直しされるということね。今から痛いわ(T_T)
(前回は計5回刺し直しになっている…(-_-))
なお、上の方でさんざん書いた首の傷については
いずれ良くなると言ってもらえたのでとりあえず良かった。
が、今もたまに痛い。汗かきな自分の汗が滲む所為なのかも?
シートをはがしたことで、服の襟とかが触れるたびに痛い(泣)
早く良くなってくれ~い!
☆
何度も書くけど、首がどうのっていうのは
私のCVポートが内頸部からの挿入になっているからで
鎖骨下に入れる大多数の人にはたぶん関係ないと思う。
だからこれからポートを入れる人は、そんなにおびえないでいいかと。
私はダイビングにこだわって内頸部からカテを入れたわけだけど
がん治療とダイビングとを同じ天秤に載せるなんてアホか、と思われるかな。
でも私は、がん治療しててもダイビングをあきらめたくない。
早く良くなって潜りたいんだ。シパダンで1000本記念したいんだ。
それをモチベーションにしてしんどい治療をがんばってるんじゃん。
そして先生たちは、そんな私の思いにちゃんと対応してくれた。
ありがたや。マジでありがたや。
だってねぇ、治療してて好きなこと何もできないんじゃ
まるで治療するために生きてるみたいじゃん。
そんなのイヤなんだな私は。
どんなに治療がしんどくても、私は私らしくありたい。
私が楽しい、好きだって思えることを
せめてできる範囲でいいからしたいんだ。
もうどうにもならないいろんなことをあきらめてきた。
だからこそ、あきらめない道があるものまであきらめたくない。
そう思ってるから、多少の無理は承知でABEDON50祭を見に山形行ったし、
ユニコーンのツアーのチケットを最速先行で確保する。
(でもさすがにイスがないオールスタンディングの電大には行けない…涙)
いまは体力的にも外見的にも休暇日数的にも海には行けないけど
いろんな条件が整ったら、なるべく早く潜りに行きたいんだな。
引き続きがんばるよ。
気負いすぎないようにゆる~く、ね。
☆
オペ日は先述の通り8月18日。
私のオペはその日2番目の10時からとのことだったが
9時からのオペが早く終わりそうなので
9時15分までには外科外来の受付にくるようにと病院から電話。
そんなわけで、9時過ぎには病院に着いていたんだけど
結果としてはかなり待たされたので、早出の意味はゼロ。
というか、日帰り手術なので外来扱いな訳だけど
外来の窓口にいる事務員は全然話が通じないし
そこで書かされる問診も、その後の看護師からの聞き取りも
なんかダブるというか、非効率的。
この外来、CVポートを入れるってことで初めてかかったときも
事務員と看護師と医師に同じことを訊かれて3回説明したり
なんかもうちょっとちゃんとしろよって感じなんだよなー。
☆
さてさて、CVポートは今は鎖骨下に入れることが多いそうだが
私は「ポートを入れたままでもダイバー復帰したい、
もしダイビングができなくなるならCVポート入れるのやめる」
そんなわがままな感じで事前に相談していたから首からになった。
ダイビング(というかタンクを背負うこと)によるカテーテルの破損を避けるためには
首からの方がいいだろうというドクター判断。
ちなみに、ポートを製造しているメーカーに聞いても
CVポートを入れたままダイビングしたいなんつー患者は前例がないらしく
満足な回答が得られなかったらしい。そりゃそうか。
でも大丈夫。
前例がないなら、私が最初の一例になればいいだけさ~。
前室で手術着に着替えるのだが、入口を仕切るのがカーテンだけで
イイ年のおばちゃんだけど、やっぱりこれは落ち着かない。
できる限り手早く着替えた。
担当してくれる看護師さん2名からの挨拶を受け、オペ室に入る。
先生はすでに中にいて、あらためて首から入れれば潜れると思うと言ってくださった。
さっき着たばかりの上衣を脱がされて手術台に横になった時点で10時25分。
まずはエコーで血管の位置を確認しながら黒マジックでマーキング。
血圧計とかパルスオキシメーターとかつけられつつ
首から胸にかけてヨード系の消毒剤でくどいくらいがっつり消毒。
それから術野以外を覆うべく、布をかけられる。
布を支える金属棒を「なるべく低く」と先生が指示したので
この布がほぼ顔の真上という感じで息苦しいし暑いし。
もし鼻とかかゆくなったらどうすればいいんだろう?
局麻の注射って痛いよね。それをまず首に3ヶ所だったかな。
先生の「メス」って声にこれから切られるんだ…とドキドキする。
局麻手術の時は「メス」じゃなくて何か隠語的なのを使ってほしい。
切られてる感覚やガイドワイヤーを入れる感覚はあまりなかったけど、
カテーテルを通している感覚ははっきり感じた。
これが「変な感じ」だと一部のブログで読んでいたけど
私はそこまでじゃなかったな。結構早くカテ通ったし。
それは鎖骨下なのか頸部なのかの違い?それとも先生がゴッドハンド系?
それから今度はポート本体を入れるために胸部に局麻。
そしてまた「メス」…。 ドキドキドキ(>_<)
最初に皮膚にメスが触ったときちょっと痛くて声が出たら
麻酔を少し追加してくれた。
私は痛みには結構強い方だったんだけど
腹水抜くときの長くてぶっとい針で何度も失敗されて以来、
痛みへの閾値がだいぶ下がった気がする。
てか、ちょっとでも痛いときは麻酔追加してもらうに限る(断言)。
で、胸部を切ったときは電気メスが皮膚を切る音が“ジュッ”って聞こえたのよね。
肉を焼くときの音みたいな、ね。ジュジュジュ~。
首の時は聞こえなかったよ。首は通常のメスで切ったのかしら?
一部のブログでタンパクの焼けるにおいがするってのを見たけど、それは感じず。
でも「もうちょっと切ろうか」とか「メス」って声聞こえてくるし…ガクガクブルブル。
音はともかく、切ってる感覚はうっすらわかる程度だったけど。
ポートを入れるとき?と、ポートとカテをつないでるらしきときは
かなりぐいぐいやられて苦しいのなんのって。
布の上から顔もぐいぐい押されるし、時折あごにグーが入ったり(+o+)
ただ、結構ぐいぐいやられるというのも一部のブログで読んでいたから
ああ、これがそうなのか…と思って耐えていた。
室内にはミディアムな洋楽がずっとかかっていた。
途中で外人コドモ歌唱の「Happy Birthday to you」が2コーラス。
なんで誕生日?とか思いつつ。
先生の趣味でもなさそうな感じ。あれは有線だったのかな?
病院によっては患者がリラックスできるように
その患者の好きな音楽をかけてくれるらしいけど
たとえばユニコーンとかかけっちゃったら私はノッちゃうと思うんで
そうなると動いちゃってダメよねー。
オペ中、布をかけられていた私はちょっと暑いと感じていたんだけど
途中で先生も暑いと言い出した。暑いのは私だけじゃなかったみたい。
部屋の温度設定は25℃だったらしいけど「15℃くらいまで下げて」と先生。
おお、助かった。15℃はちょっと低すぎると思うけど。
術後に見たんだけど、先生の術衣は汗びっしょりだった。
「もうポートは入って、あとは縫うだけですからねー」
ぐいぐいが終わってホッとしたけど、縫うのも充分コワイぜ(苦笑)
しかも切開創を縫うときも途中でちょっと痛かったので麻酔を追加してもらった。
それによりキシロカインが1本追加(その分だけ料金UP)になったけど
お金には換えられん。ヘタレ&ビビリですいませーん。
無事に縫合が終わり、布が外されてから消毒液の拭き取り。
たぶんヨード系のやつの茶色をハイポで消す作業。
同時進行で体に付けられたいろいろが外される。
右肩の背中側に貼られていたやつがベリッとはがされて痛い。
全然予期してなかった分だけ余計に(涙目)
その所為か、左腹部に貼られた大きなやつはすごく慎重にはがしてくれた。
はがれたところで「このおなかのは何なんですか?」と訊いてみたら
「対極板だよ。これがないと電気メスでやけどしちゃうんだよねー」とのこと。
なるほどねー。そういうのは全身麻酔じゃ質問できずわからんよね。
起き上がってから背中側に回った消毒剤の拭き取り。
手術着を元通り着たところで先生の「貼っておくか」とのひと声で
切開創に防水シート付きガーゼ?みたいなのが貼られた。
切開部分は、医療用のセメダインみたいなやつで固めてあるんだって。
当日は禁シャワー、翌日から1週間後の診察まではシャワーはOKだけど入浴はNG。
創部に貼ったシートは、2,3日ではがしてもいいとのこと。
ちなみに私自身は、傷口を見ていない。
更衣室に戻って時計を見たら11時40分。
事前にもらった冊子では手術は30分~1時間と書いてあったけど
思ったより長かったね。麻酔を何回か追加してもらったからかな?
その後レントゲンを撮って、異常がないことを確認して無罪放免。
次は1週間後に傷口の確認で外科にかかることに。
お会計は約5万。安いのぉ(←点滴が高いから金銭感覚マヒってる)。
でも同じものを同じ手技で入れるのに、中心静脈栄養用と抗がん剤用で
6万円(3割負担で2万ってことね)も違うって納得いかないよねぇ。
文句言ってもすぐには変わらないから黙って支払うけども。
付き添いで来てくれたおかんはタクシーで家まで帰ろうって言ってくれたけど
病院を出たら目の前のバス停にちょうど駅行きのバスが着いたとこだったので
バス乗って電車に乗りついで実家へ帰宅。
手術前は朝食抜きだったため、多めのランチを食べた後、
急に睡魔に襲われてお昼寝。3時間くらい寝てたみたい。
やっぱりいろいろ疲れてたのかな。
☆
私のからだは、だいぶ傷だらけになった。
乳がんのオペでできた2ヶ所(胸と腋下)。
腹水を抜くための針刺しの痕が複数。
卵巣がんのオペで下腹部にかなり目立つ傷。
今日のオペで3ヶ所。
「生きるためだからしょーがない」と私は思うようにしているけど
おかんは「きれいな体に産んであげたのに」と半べそ。
毎度のことながら、自分の親不孝さ加減には言葉もない…。
その分、がんばって長生きしないとなー。
…と言い訳からスタートしてみたけど
7月1日に退院して、7月27日に職場復帰と相成り、
疲れやすかったり、暑さに負けそうになりつつ、だましだまし勤務中って感じです。
フルタイム勤務に戻ったので、実家への居候も切り上げて自宅に戻ってます。
もちろん、普通に元気ですよ。
先日も山形まで遠征して、ユニコーンのABEDON50祭を楽しんだし。
(これは病気発覚前にチケット取っちゃってたからってのもあるけど)
とにかく、たまにしか更新しないのもアレなので
代わりに(?)ちょっと長文で近況報告。
で、もう過ぎちゃいましたが
8月10日は、私の2つめの誕生日なのね。
11年前の8月10日、そう、乳がんの手術を受けた日。
ちなみに3つめの誕生日は6月23日です。
誕生日増えすぎ(苦笑)
もうこれで打ち止めにしたいぜ。
今は術後の化学療法の真っ最中。
術前化学療法5回を経てもがん細胞が残存していたので
(それは、わかる範囲は手術で摘出できているけれど)
術後もフルコースで化学療法を受けるってことになったのね。
ちなみに、私の卵巣がんのステージはⅢcで確定。
漿液性腺がんという、卵巣がんの中ではいちばんありがちなやつ。
化学療法はTC(CPと言われることもある)。
カルボプラチンとパクリタキセルを使ってる。
これを術前5回、術後6回。今は術後の2回目を終えたとこ。
そしてステージⅢcなので、分子標的薬のアバスチンも始まった。
今は髪の毛は100本くらい残して全部抜けてる。
残った毛が何かとジャマなので、全部1cm前後にカット。
ちなみに今回は11年前より少し金持ちなので、ヅラを買った。
とにかく暑くて蒸れるので、かぶるのは主に仕事の時だけ。
プライベートな外出では、11年前同様、基本的にバンダナ。
自宅とか実家ではハゲな状態で過ごしている。
もう自分のハゲ姿に慣れちゃったので
ときどき忘れてハゲのままで外に出ちゃいそうになる(苦笑)
頭のかたちには自信があるけど、さすがに周りの人がびっくりしちゃうよね。
ついでに言うと、今は眉毛もまつげもほぼない。
まつげがないと目にゴミが入りやすくて
汚い話、油断するとすぐ目やにが出ちゃってるんだわ。
サービス業なのにこりゃまずい。だからときどき鏡でチェックしてる。
それにしても、私のみたいに短くてまばらなまつげでも
ちゃんと働いていたのね、と今更ながらねぎらいたい気分。
今いちばんしんどい副作用が末梢神経障害。
簡単に言うなら、手足がいつもしびれている状態。
パクリタキセル使ってるからしょーがないんだけど
点滴の回数を増すごとに副作用は蓄積されていくので
どんどん悪くなっている。
手の指先は第1関節までしびれている。時に痛い。
何かをつまむとか、かなり厳しい。細かい作業はほぼできなくなった。
箸はかろうじて使える。字を書くのは、痛い。
パソコンのキーボードとか叩くのもそこそこ痛い。
足はだんだんしびれの範囲が広がってきている。
今はつま先からかかとの1/3くらいまでかな。
わかりやすく言うと、30分正座して立ち上がった直後のような感じ。
感覚が麻痺しているので、普通に歩けない。
そんな状況でフルタイム勤務を再開して気付いたけど
駅とかでよたよた歩いている私に優しくしてくれる人、
目の前でエレベーターの閉ボタンを押してドアを閉めちゃう人、
逆に、私に気付いて開ボタンでドアを開けて待っててくれる人、
階段の手すりを譲ってくれない人…いろんな人がいるのよねー。
私も、副作用が治ったら、優しい人にならなきゃ。
それでですね。
もう、何かと採血とか静注とか点滴とかありすぎて
私の右腕の血管はボロボロになっているらしく
(左腕は乳がんの関係で針刺しNGな感じ)
もう何やるにも刺し直しが頻発なんですわ。
毎度毎度痛いし、血管炎とか起こしてる腕を見ると切ないし
注射失敗してスタッフがベテランに交代、とかありすぎて
若い医療スタッフをヘコませすぎかなーとかも考えて
前から気になっていたCVポートを入れることにしました。
これは外科の担当なので術前の検査とか改めて必要になって
いろいろめんどくさかったけど、来週18日に手術です。
局所麻酔で日帰りなんだよね。
局麻だから全麻みたいにひどい吐き気とかはないんだろうけど
皮膚を切られる感覚とかカテーテルをぐいぐい入れられる感覚とか
そういうのわかるらしくって、ちょっとドキドキするよね。
でもアバスチンって結構長期間(最低21回)点滴があるから
それを毎回右腕から入れることを思えばポートは有用かなって。
TCが6サイクル終わってアバスチン投与だけになって
血液データとか髪の毛とかいろいろ落ち着いたら
ダイビングを再開していいって主治医に言われたんだ。
シパダンで1000本記念、あきらめない。
なるべく早く海に戻れたらって思って治療がんばってる。
あと、今は長時間立ってることができないから
オールスタンディングのライブとか体力的に無理で
(実際、ABEDON50祭は約4時間のライブ中ずっと座ってた)
必ずイスがあるユニコーンとかしか行けないんだけど
ダイビング再開できるまでは音楽から癒しを受けてがんばる。
今年のユニコーンツアー、横浜2daysと国際フォーラム、確保済み。
やっぱ好きなバンドの生音って、いいんだよね。幸せ感じるもん。
あー、だいぶ長くなりました。
現在のところはそんな感じです。
今は実家に身を寄せて、のんびりしています。
職場への復帰は、具体的な日付けはまだ決まっていませんが
とりあえず今月最終週を予定しています。
また、ここにきてもうひとつ懸念事項が出てきてしまい
今後のブログ更新はちょっとどうなるかわかりません。
ゆとりのあるときに、たまには更新するかも。しないかも。
あ、懸念事項は私の体調関連ではないので過度の心配は無用です。
とはいえ、術後の化学療法はすでにスタートしており
副作用でジタバタしていたりする日もありますが…。
ともあれ、ご心配いただいている方もいらっしゃるかも知れないので
とりあえずご報告しておきました。
明日の16時、手術開始予定です。
私のスマホからは写真が添付できないらしいので
とりあえず今日はこれだけご報告。
術後はいろいろ落ち着かない可能性が高いので
「手術終わりました」的な報告がいつ出せるかわかりません。
でもきっと無事に戻りますよー(^^)v
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